二輪関連の社章やバッチ特集(国内編)

今回、ホームページがリニューアルすると言う事でこちらの【二輪関連の社章やバッジ特集(国内編)】も古い記事を交えながら新しいバッジの紹介もしていこうと思っています。個人的には海外のバッジを主に収集しているのですが、国内にも素晴らしいバッチがある事を知り、数年前から国内のピンバッジも収集するようになりました。当時のバッジの主な使い道としてメーカー社員が襟に付けた社章や販売店代表が会合などに付けて行くバッジ、バイクを買って付いてきた物や懸賞品など、様々な形で世に出回ったそうです。そんな当社で保管している少量のバッジではありますがご紹介したいと思います。


マルワイ(株)山口自転車

大正三年に山口重彦個人経営として自転車を作り始めた。会社は東京にあり戦後の1953年にはバイク製造にも乗り出したが生存競争に敗れ1963年に倒産。その後大手丸紅の傘下となり【丸紅山口株式会社】に改称し【山口ベニー号】や【山口べニックス】など後に一世を風靡する自転車が登場した。バッジの種類から会社自体が勢力的であった事が伺える。


1960年 第3回 クラブマンレース


1960年 当時栃木、宇都宮にあった旧日本軍の飛行場跡にて行われたMCFAJ主催の全日本クラブマンレースのメダルです。参加者全員がもらえた物なのか不明ですが私が手に入れたのは某海外オークションです。どういった経緯で海外へ渡ったのか、とても気になるところです。ちなみにこのイベントにはあのGP世界チャンピョンレーサーのジェフ・デュークが招待されManx Nortonで模範走行をしている。


【特製】オートバイ雑誌社バッジ

1950年代中期のオートバイ雑誌『オートバイ』 の中で、完成はがきに4問の問題を答えて本の感想を添えて送るとオートバイや雑誌『オートバイ』オリジナルグッズが抽選で当たるというコーナがあった。
【特賞】ヤマトラッキージュニア(1名)、【1等】Honda 赤カブ(2名)、【2等】金象眼オートバイ型入銀製バックル(3名)、【3等】本社特製パイロット高級万年筆(20名)、【4等】本社特製自動車免許証入(50名)、そして第5等がこの本社特製オートバイバッジ、100名様に。裏にはオートバイ雑誌社とある。デザインも造りも良くお気に入りの一つである。


Cabton/キャブトン

『Come And Buy To Osaka Nakagawa』の頭文字からなるCABTON。戦前からTriumphやIndian,Ariel などの特約代理店を営みながら自社製バイク、Cabtonを産み出した中川幸四郎商店。このバッチは戦後の物。シンプルな造りだが地元メーカーとしては持っておきたい1品である。


トーハツ 東京発動機株式会社

大正11年品川区にタカタモーター研究所が高田益三によって発足され、発動機付き揚水ポンプの製造からトーハツは始まった。昭和14年にはタカタモーター研究所から東京発動機株式会社と改名し、その後1950年代中期には2輪売り上げシェア率35.5%の圧倒的なシェア率を誇るトップブランドとなった。

トーハツのあゆみ【https://www.tohatsu.co.jp/ayumi/tabid/123/Default.aspx


サンライト 板垣株式会社

昭和30年代、小排気量バイクで圧倒的なシェアを誇っていたサンライト。昭和29年にサンライトバイクモーターの名称を以って補助エンジンローラー型を販売会社の三輝工業株式会社の傘下代理店400軒を通じ全国販売を行った。


東京モーターショー

1954年から開催されている東京モーターショー(全日本自動車ショー)第7回と第13回のバッジです。
この人が車輪を回している姿をしたマークは開催当初から使用されていましたがある年から使われなくなりました。
しかし近年またこのマークが東京モーターショーで、【初心に帰る】という意味を込めて使われるようになった。


スイフト 日本スヰフト工場

下:東京にあった自転車メーカー日本スヰフトのピンバッチ。裏には『保険証 日本スヰフト工場』と書かれている。自転車を新車で購入した際、一定期間内(メーカーによって異なる)の故障などを保障をするといった保険が付いていた。それは現在にも同じことが言えるが昭和30年代頃までは保険証は自転車にぶら下げるメダル状の物が大半であった。しかし今回のようにピンバッチが保険証なっている物は珍しい。上:下のものと同メーカーの物。裏には『株式会社日本スヰフト工場』と書かれている。表に書かれた『報國』の文字が時代を物語っている。愛国心を全面に出したピンバッチである。


トヨモーター


1949年から1958年まで続いた愛知県を代表するオートバイメーカー。

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